Life is going.

僕はどちらかというとケチな方で、部屋には家具はほとんどなくて(なぜか机は2つある)、殺風景で友達が家に来たら、まあ友達が家に来ることもあまりないのだけれど、それはそれとして、友達が家に来た時よく「生活感がない」と言われる。

かといって別にミニマリストでもなく、現になぜか机は2つあって、大して広くないワンルームの部屋はその二大巨頭によってかなり侵食されていたりする。

何でこんなことになってるかというと、最初に述べたが僕はケチだからだ。

少し前はそもそも欲しいものがなかった、物欲を失ってしまって、お金は減らないが何か大切なものをなくしてしまったな、という損失感があった。ただまあ人間の心や感情、望みなんてものは知っての通り気付いたらがらんと変わってしまってるもので、今となっては物欲も無事カムバックしてきて、戻ってきてくれて嬉しい気もするがやはり完全に持て余しているわけでありまして。

ほんと困ったものなんですが、ここでようやく僕のケチっぷりを話せるわけですが、Amazon等で欲しいものを見つけたり、あるいは欲しくなるものを見つけたりするのですが、僕は即買いすることはほとんどなくてまずほしい物リストに加えます。

ほぼ必ず。よっぽど緊急に必要なものや、よほど欲しいもの以外はそうします。そしてじっくり寝かせます。

ふとした時にほしい物リストを見て、ああそうそう、これが欲しかった。なんて言いながら、時間が少し経っているのでそれを欲しかった情熱は少し薄れてるわけです。そこで追い討ちをかけるべく自問します。待てよ?これって本当に欲しいものなのか?必要なものなのか?買う価値はあるのか?これがなければ生きていけないものなのか?と。

この追い討ちに大抵の欲しいものは逃げ出してしまい、結局僕は物を買わないまま。こういう状況が多かった。

では、その分のお金をどうしてたのかというと、もっぱら旅行に費やしてました。

とにかく何か用事(多くは好きなバンドのLIVE)を見つけてはどこかへ行って、非日常を味わう。いやもはや味わっていない、どこか恐らくはどこでもいい目的地を決めて、別にそこで何をするでもなく、でもしなければいけないと信じ込んでいる何か(多くはLIVE)めがけて日常から逃げ出す。こうすることで日々を過ごしていた。いや、LIVE大好きだけどね。ただ、ぶっちゃけここ半年はわざわざ遠征してまで行く価値のない(ここでいう価値の意味は自分がそれだけ楽しめる価値のあるという意味)LIVEにも結構行っていた気がする。

 

ただ、今。ただの反動かもしれないが、僕は今は違う日々を過ごしている。この2ヶ月はどこへも行っていないし、GWも部屋にこもりっきりだ。そして一方ダンボールの数は増えた。

これが何を意味するか。

iPadを買ったり、ポットを買ったり、スタンドライトを買ったり。僕の部屋が部屋として機能しだした。

非日常に救いを求めるんじゃなく、日常を少しずつ充実させていくことにした。

これが自分にどう作用するか、というかこの変化に意味があるのか、わからない。

自分の中で変わろうと思ったわけでもない。

ただ面白いな、と。

今までずっと実家にいる時は家に寄り付かないアウトドアな人間だったのに、今や如何に引きこもりを極めるかみたいになってる。

いろんな人のライフスタイルが気になる今日この頃。変化を恐れつつも変化に興味が湧いている今日この頃。何か新しいことをひっそりと少しだけチャレンジしたい今日この頃。