金木犀の香り

 何気なく夜散歩して、ふらっと公園に立ち寄って園内を1周していたらどこからともなく金木犀の香りがした。街頭もそう多くない公園で、足元さえおぼつかない。そしてここまで公園、公園と言ってるとおり名前も知らない公園である。

 その金木犀はどこにあるのか姿形もよく分からない。そしてこの散歩は金木犀を目的にしていたわけではない。でも、いやだからこそ、この偶然の出会いに価値がある気がした。

 平日の昼間、目の前のことから逃げて小洒落たカフェにふらっと入ると常連のような女性が窓際の席で上品に読書をしている。もちろん、それはそれでとても素敵な光景だ。彼女にとっては当たり前のことかもしれない。だが、ひねくれてる僕はその姿を見た時、無理してないかな。と思った。

その光景は成り行きが生み出したものなんだろうか。平凡で退屈な日常に嫌気が差して、誰もが羨みそうな優雅で可憐な1日を過ごしながら時間を潰す。それは本当に自分がやりたいことではなく、こんな過ごし方素敵だな、そう思った自分の中の理想の自分をただなぞっているだけではないのか。そんな気がしてしまった。

 時には背伸びして、なりたい自分を体現しようとすることも大切なことだし、必要なことだと思う。だが、肩の荷を下ろすというか、別に目的意識を持つことなく、かっこいい自分に浸ることなく、一切成り行きで進んでみる。どちらかというと現代ではそちらの方が必要な気がしてくる。

 目的意識とは大切なようでいて、本質ではないことに気付く。あくまで決める必要があるのは進む方角だけで、目的地がどんな場所だろうと想像しながら歩くのはもったいない気がしてしまう今日この頃である。