厳しさと優しさ

 すごい昔のことを思い出した。

明日はとある重めの科目の中間テスト、同級生たちは真面目な奴らばかりだから恐らくしっかりと勉強しているであろう。なぜかグループ学習を皆したがる。4人で使うには少し心許ないファミレスのテーブルを窮屈そうに使う。集中の切れた誰かがすぐに軽口を叩く。それは非効率なようでいて、やる気を少しだけ出して勉強に向かうための必要悪なのだろう。或いは皆と同じ境遇であることを確認して自分を安心させているのかもしれない。自分はどうも誰かと勉強することが苦手だ。そもそも授業も苦手だ。唯我独尊、あらゆることを自分のペースで進めたい超マイペース人間の自分は他者に合わせることがストレスだ。そして他者といるとそれなりに相手に合わせてしまう。自分を貫くでもなく、自分を完全に偽れるでもなく、人間という生き物を体現したような人物である。だから今日も僕は1人で、誰とも遭遇しない少し離れたカフェで勉強に向かい、テストが近付いてきた頃にだけ捗る読書に手を出していたところだった。

 その時読んでいた小説に水泳の話が出てきた。その内容自体にはさして響くものはなかった。しかし、偶然に自分の遠い過去を蘇らせてくれた。自分は幼い頃、水泳を習っていた。どちらかと言えば競泳と言った方が正しくて、4泳法を泳ぐことが目的ではなく、より美しく、より速く泳ぐことが目的だった。

 幼稚園児にとって、25mというプールの端から端までの距離はとてつもなく長い。その当時、クロールを始め、ある程度泳ぎ方をマスターしていた自分であったが、泳ぐことを継続することはとても苦しかった。溺れるわけではない、泳げないわけではない。だからこそ、限界は肉体的なもの、そして精神的なものに起因する。あと少し、もう少しならと自分を励ました分だけ先に泳ぎ進めることが出来るのだ。

僕の授業を担当してくれる先生は固定ではなく、日によって色んな先生がメニューを指示してくれる。優しい先生だったら楽しく楽なメニューだし、そうではない先生だと内心嫌だなと思いながら練習することになる。

 その中で、とあるおばさんの先生がいた。今でも名前はハッキリと覚えているが、ここでは先生とだけにしておく。その先生は端的に言うと厳しかった。途中の練習は他の先生とはそう変わらないが、最後に必ず25mをノンストップで泳がせるのだ。当時の僕は25mがギリギリ泳ぐことが出来るが、かなり苦しみながら、ヘロヘロになりながらといった状態であった。しかもその試練がある程度練習して疲れた体にのしかかってくるのだから僕にとってはたまらなかった。今日の授業がその先生とわかった瞬間から授業最後の25mのことが頭の中にぶわっと広がって消えないのだ。そして想像していた通りのことが案の定起こる。今でもハッキリと覚えている程その当時はその事が嫌だった。逃げ出したかった。けど…その経験があったから自分は次のステップに進めたのかも。限界に挑めたのかもしれない。今だからこそそう思える。実際にどうだったのかわからない。僕は無理して25mを泳がなくとも、体の成長と共に順調に泳げる距離は伸びていっただろうし、その経験が今に活きているかは不透明だ。

 今の時代、何かとハラスメントであったり、褒めて伸ばすが推奨されたりと厳しく接される場面は少ない。辛いことは辛いと言っていいし、自分に不快なことは不快だと声を上げて場を改善させるべきだ。そういった方向性に舵を切り出している。もし今の時代にその先生がいたら、同じような態度で接してくれただろうか。僕は25m泳ぎきっていただろうか。そういった疑問が浮かぶ。

 辛く、苦しい、ある種トラウマのような感情と共に過去を思い出す。けれどなぜか、その感情と共に、先生に対する感謝の気持ちも湧き上がってくるのだ。