自己肯定感と自己顕示欲と弱者と強者


Togetterで見つけた。
結構話題になってる?らしい。
まず思ったのは自己顕示欲と自己肯定感は必ずしも一致しないんだなーってこと。
でも、たしかにそれはそうかも。
というよりむしろ、自己肯定感がそこそこあったほうが自己顕示欲はそんなに肥大しない
んじゃないかな?なんて思った。

このツイートや一連のやりとりを見てると、

"褒められても相手に偽りの自分を見せているんじゃないかって思っちゃう"

"友人にお礼と同時に褒め言葉を使ってしまうとプレッシャーに感じる"

だとか、これに似たツイートが散見された。
素直に思った事言うと・・・・


自己肯定感低いくせに自意識過剰かよ!!
誰も他人はあなた方が思っている程あなたを心底褒めていないし、期待もしていない。
なんならリップサービスであったり、円滑に関係を進めるためのコミュニケーションの
1つであったりすることがほとんどだし、仮に向こうが本気であなたを褒めてるとしても
それをバカ正直に受け取ってしまうのは
なんか違う。
素直にありがとう、と思っておいて(もちろん口に出して)、でもどこかこの人はどうして
褒めてくれたのかな?とか○○だからかな?なんて邪推しながら漠然と考えてさらっと流して
しまえばいい(褒められた内容自体は)。それで褒められた事実だけはほのかに覚えておいて
勝手に満足して自分を満たせばいいんだよ。
ここまですべて偏見でお送りしてきたわけだけど、さらに偏見を言うと、彼らは褒められたことがなさすぎて、ひねくれてしまったのかな?なんて思ってしまう。
そうでないにしても、
どこか思考回路を間違えてる。

これって頑張ってる人に頑張れって言うのは酷だ。みたいな話にもつながると思うのだけど、
この「頑張れ」って言葉にはいろんな意味が含まれてるわけですよ。
頑張ってるあなたは本当に素敵でかっこいい、僕はあなたを応援しています。
この調子で頑張り続けてください。
どう考えてもこれが真意なんですよ、
多くの場合。
誰もね、頑張ってる人に、あなたは頑張ってない、であるとか、まだ頑張れる、もうひと頑張りしろ!なんて言ってませんて。多くの場合。
これも思考回路がひねくれてるんですよね。

話戻すと、
それで上のツイートがまあ共感を呼んでるんですよ、多少。
それでもちろん擁護の声が大きいんですけど、
なんか自分の問題だって意見はまったくなくて、あくまで外的要因や他者によってもたらされた問題だ。みたいな。うーーん。

僕は比較的、自己責任論者なので、
弱者がただ弱者であるから、という理由で無条件に助けられるべきだ、とか
情けをかけるべきだ、とは必ずしも思わない。
弱肉強食だよ、この世界は。
問題なのは不当に、理不尽に、不幸に、弱者になってしまった人で、
この人達は積極的に救って、チャンスを与えて、等々すべきだと思う。
ただ、弱いから弱者なのに、その人達を肯定するのはただ甘やかしてるだけ。
弱者同士が馴れ合うのもそれ自体はどうしようもないけど、僕はそれを否定する。
ここで自分が強者なんて言うつもりはまったくない。
ただ自分は今回の件において彼らよりは強いと思う。
彼らは弱い。間違ってる。
別に、だからといって彼らの考えを変えようとかは思ってない。
いろんな考えがあるだろうし笑
そこはお互い尊重すべきです、僕の考えもかなり偏ってるだろうし。
ただ言わずにはいられなくてどこかに書きたかった。

なんか表面では(口先では)、自己肯定感低くて、自己嫌悪、自己否定が強くて
って人ほど、自分という存在をえらく評価してるとこが多いっていうか、
自分が如何に大したことなくて、なんでもない存在で、ちっぽけで、無意味だって
本当にわかってる?って言いたくなる。
僕は自分のことは比較的好きだし、自分に期待もしている。
でも、一方で根底では・・・理解しているつもりだ。